「大阪都構想」住民投票にあたって、考えたこと その1

大阪都構想の是非を問う住民投票から一週間経ち、話題としても落ち着いてきたようです。

前回の投稿では、世代間格差が確かに存在することをデータによって確かめました。
今回はこの住民投票を通して僕が考えたことを述べます。が、前回の投稿と同様に、都構想そのものについては意見を述べることはしません。というか、一般論が多数を占めます。

自分の意見に近い人をあまり見たことがないので、人によっては反感を覚えることがあるかも知れませんが、何卒お手柔らかに。

書き終わってみて分かりましたが、また長くなったので続きます。次が最後。

さて、前回の投稿のラストでは、データを集めた結果として「60代で拮抗して70代で賛成が上回れば、確かに全体でも賛成が上回りそう」ということを述べました。
ネットでよく言われる「世代間格差」は確かに存在するということになります。

これに対して「世代間で票の重み付けを変えれば良いのでは」という意見を結構よく見ますし、世代間格差を解消するのならば手っ取り早い方法ではあると思うのですが、この案を実際に制度に落とし込もうとすれば、「世代」をどこで切れば良いかで100%モメると思うのです。
かといって、年齢が違えば票の重みが必ず異なる、例えば20歳の人と21歳の人でも20歳の人の票の方が重みを持つ、というようにすると、若者と老人で票の重みに差がつきすぎてしまいます。
それから、今後のことは次世代を担う人が決めるべきだ、という意見はもっともなんですが、人生経験のより豊富な老人の意見を聞くべきだ、という意見もある程度の説得力をもち、両者の優劣を簡単に決めることは出来ません。
結局、一票の重みを平等にして多数決が一番良い、ということになりそうです。「得票数」という数字の持つ説得力というか議論を収集させる能力、案外侮れないものです。

また、別の問題もあります。年齢によって票に重みを付けた場合、この制度のもとで行われる選挙は平等選挙ではなくなります。僕は法律には詳しくありませんが、法的にかなりデリケートな問題であることは間違いありませんし、国際的に批判を受けるケースもあり得るでしょう。

制度についての提案以外では、「老害は自重しろ」のような、一種の愚痴のような台詞もよく見かけました。

ある意味ネタにマジレスのような気もしますが、こういうことを言っている人は「老害」として具体的な人物を想定して言っているのでしょうか?正直、脳内で勝手に悪のイメージを作り上げて、それを攻撃している人が結構いる印象を受けるのですが……
まあ、僕の印象はあてにならないにしても、民主主義国家として、自由な意志に基づいて自由な投票行動を行うことを制限するわけにはいかない、という実情があります。そして、投票行動を決めるにあたって自分の利益を第一に考えるのはある種当然のことでそれもまた自由なのです。

ということは、平等な選挙が行われた場合、母集団によって結果に偏りが出てしまうのは当然ということになります。
なんとなく納得出来ない気分になりますが、多様な意見の中からひとつの意志決定をする場合に最大公約数を取ろうとするのは、皆を(しぶしぶではあっても)納得させるための最も良い手段のひとつです。このことは、複数の意見の中から一つを選び出さなくてはならない状況で議長をやったことのある人には、頷いていただけると思います。文化祭の演目決めなど、多くの人に経験があるのではないでしょうか?

さて、日本の選挙について一般論で考えた場合、投票者の母集団は高齢者に大きく偏っています。

内閣府の発表している「平成26年版高齢社会白書」によると、日本の総人口の25.1%が65歳以上(2013年10月1日現在)だそうです。4人に1人より多いという驚くべき数字です。
また、総務省発表のデータを見ると、前回の投稿で大阪市長選挙について述べたのと同様、国政選挙においても全体的に高齢者の投票率が高いです(というか、年代別の投票率では大阪市と全く同じ傾向が見られます)。半数以上が平成生まれで小さい時から混乱した国政を見せつけられて育った20代と、全員が戦中生まれで敗戦をきっかけにした日本の大きな変化を見てきた70代とでは、参政意識も大きく異なるのでしょう。

これはもう、選挙結果が高齢者の意見にどう頑張っても偏ると言い切って良いレベルです。

しかし、これは明らかに普通選挙の制度上の欠陥であり、民主主義の限界です。誰も悪くないのです。
大阪都構想に係る住民投票の結果が、「都構想を『自治体のランニングコストを減らすため、大きなイニシャルコストをかける』というものだと大雑把に理解し、多くの人が自分のことを考えて投票に行くという当然の行動をした結果、若年層と高齢層が対立して高齢層が勝った」というこの上なく分かりやすい構造だったために顕在化したに過ぎず、皆がいつ気付いてもおかしくありませんでした。

幸か不幸か今まで顕在化しなかった(少なくとも多くの人が実感を持っていなかった)のは、国政選挙においてはここまで世代間で利害を争う事案が争点化しなかったからでしょう。

僕は、政治の目的は(理想論的ですが)「なるべく多くの人が幸福に暮らす世の中を作ること」だと思っていますし、多くの人がなんとなくそのように捉えているのではないかと思っているのですが、この目的を達成する手段として普通選挙がだんだん適切ではなくなってきている、そう感じざるを得ません。

ああ、まただいぶ長くなってしまいました。
3回シリーズになるとは思いもしませんでしたが、また続きます。文章が長くなるのは悪い癖です。
落とし所はちゃんと考えてますので安心して下さい。そんな乱暴な結論でもないと自分では思っています。

続きは今週中くらいに。

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