住民投票からもう2週間が経とうとしており、続報のない性質のニュースの常か、話題にも上らなくなってきました。
ネット社会ですね。
期せずして3回シリーズになってしまったこのシリーズの最終回です。
例によって、大阪都構想に関しては単なるきっかけに過ぎず、日本の政治に関する一般論になります。
今回は僕の意見が中心になりますので、(政治についての議論の常ですが)反感を覚える方がいるかも。
前回のあらすじ
・普通選挙を行うなら、母集団に寄って結果に偏りが出てしまうのは当然
・日本の年代別人口比と投票率を考えると、選挙結果はどう頑張っても高齢者層の意見に偏る
・となると、政治の手段としての民主主義は、今の日本では適切ではなくなりつつある
前回を3行でまとめるとこんな感じでしょうかね。
今回は前回よりは短くなる……と思って書きましたが、一番長くなっちゃいました。ではどうぞ。
「民主主義が今の日本にとって適切ではなくなってきている」というのは僕がわざわざ主張するまでもなく多くの人が感じていることだと思うのですが、かといってそう簡単に変えられるものでもないこともまた、多くの人の同意するところでしょう。
イギリスのチャーチルの言葉に「実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」という有名なものがあります。
チャーチルの言うとおり、民主主義には悪いところがたくさんあるのですが、今のところ民主主義以上の手段に人類はたどり着いていません。
また、民主主義(というか多数決)はあくまで手段に過ぎない、と僕は考えるのですが、どうやらこの手段は目的化しつつあるように感じます(根拠を提示しろ、と言われると困るのですが……)。
政治手段として民主主義以外の何かが提案されたとき、それが十分に議論され、広く世界中の人が「民主主義と同等、またはそれ以上の政治手段である」と認めていない限り、政治制度を突然変更するのは国際的な非難を浴びることになるのではないでしょうか。
日本の場合「日米同盟」の存在も大きいですし。
民主主義は日本の現状には合わなくなってきている。しかし、これをそう簡単に変えるわけにはいかない。
となると、導かれる結論はひとつです。
弱者となる若者世代は、嫌なら出て行くしかない。
まあ、そういうことになります。筆者自身が20代半ばの「若者世代」であることを知っている方は意外に思われるかも知れませんが。
僕自身は外国語が得意なわけではなく、なんとなく生まれた国で居心地が良く、家族みんなと友人のほとんどが日本人であることからこれからも日本を出るつもりはありませんが、こういう理由で日本を出て行くという人がいるならば、止める理由が見つからないです。
皮肉にも、民主党政権の失敗からほとんど国政選挙において選択肢のない現状は、20代にとっては良い状況な気がします。少なくとも、不本意な選挙結果を肌で感じることはないですし、「選挙結果をきっかけにして」日本から出て行く覚悟を決める必要はありませんので。
今回のPOSTを書き始めるきっかけとなった住民投票のように、世代間で対立して高齢者層が勝った場合はその地域から出て行く人もいるかも知れませんけどね。
とはいえ、「20代は詰んでますよ、はいさようなら」と締めるわけにもいきません。
僕の考えを言います。日本に残りたい20代が今すべきことは、
団塊の世代が鬼籍に入るまでの間、ネット社会を利用してより良い母集団を生成する
これです。
20代が政治において不利であることが一朝一夕に解決できる問題でないことはお分かりだと思います。そうでなければ、「嫌なら出て行くしかない」なんて結論には到達しませんから。
また、「普通選挙による間接民主主義を継続するならば、政治における意志決定は母集団を反映する」ということは何度も述べてきました。
ここから導かれるのは、「それでも日本に残りたいなら、時間をかけて良い母集団を形成するしかない」ということなのです。
さて、では僕の考える「良い母集団」とは。
非常に理想論的かつ抽象的ではあるのですが、「論理的な議論と思考のやり方を身につけ、国の未来像を考えられる集団」です。「20年後、30年後の日本を考えたときに、最適解を多数決で選び出せる集団」と書いたほうがより具体的でしょうか。
果たして政治に「最適解」が存在するのかどうかは甚だ疑問ではあるのですが、より重要なのは「最適解」を選び出すための過程です。そのような過程を踏めることが重要なのです。
論理的に思考し、判断を行うためには「情報」が必要で、十分に集められた情報から論理的に行われた決定は、たとえ別々の意見であっても尊重されるべきものになるでしょう。あとは多数決で白黒決めれば、どのような結論になっても、まあ誰もが納得するし大事故は起きないはずです。つまるところ、有権者は政治についての情報を積極的に集めるべき。
かといって、関心を持っていないことの情報は積極的には集められません。この点をどうするか。
こんなことを言っては誰かに怒られるかもしれませんが、僕は「有権者は誰もが政治参加すべき」だとは全く思っていません。
ここまで3回シリーズで続けてきて、そのような論調で書かれた文はひとつもないはずです。わざわざ「有権者は皆~」ではなく「母集団は~」というような切り口で書いているのは、選挙は投票したい人だけが投票すれば良いと思っているからです。
(これが、「反感を覚える方もいるかもしれない」と言っていることです)
「なるべく多くの人が政治に関心を持って選挙に投票に行く」ことはドグマのようになっていますが、果たしてこれは本当に正しいのでしょうか?
確かに政治は全ての人に関わりのあることなので、それに対して意志表示をする権利を憲法で保障するのはそうあってしかるべきなのですが、全ての人が投票に行かなくてはならない、というのでは、権利ではなく義務になってしまいます。
世の中いろんな人が居ますから、「政治にはどうしても興味が持てない」という人は少なからずいるはずです。そういう人が無理矢理にでも興味を持たないといけない理由はないはずで、「分からなくても、とにかく投票には行け」というのはあまりにも乱暴だと思います。
「普段から政治に関心を持ち、投票に行け」というのなら分かりますけどね。
逆に、興味が持てない人も政治に関心を持たなければ、権力者によって生命も財産も危機に晒される、なんてのは、理想とは程遠い状況です。
それに、「よく分からないから投票には行かない」というのも、それはそれでその人の責任感の現れであり、尊重されるべき個人の意見だと思うのです。
何が言いたいかというと、投票は十分に情報を集めた上での論理的な判断によって行われるべきで、情報を集める気もきちんとした判断をする気もない人が「なんとなく」で投票するようなら、むしろ投票はしなくても良い、ということです。
選挙は「参加することに意義がある」というわけではないのです。
(ここら辺の意識の差も、世代ごとの投票率の差に影響していそうですね)
ですから、投票行動は政治に普段から関心を持ち、十分に情報を集めている人が行えば良いと思います。関心のない人は、関心のある人に任せておけば良い。
そうすれば、よりリテラシーの高い投票者の集団が形成できるので、選挙によってなされる決定も、少なくともそうでない現状よりは適切なものになるはずです。
(もちろん、政治に関心を持っている人は多ければ多いほど良いです。対組織票への効果もありますし、あまりにも投票人数が少ないとその層を政治家が抱き込もうとするだけで、「多くの人間による権力の暴走の監視」という民主主義のメリットまで殺してしまう)
しかし、そのような政治の形を制度として実現するのは非常に難しい(どの程度のレベルを持って「リテラシーがある」とするのか線引きが困難)ので、意識として共有するしかありません。
というわけで、私はネット上でそういう意識が醸成されてくれば良いと思います。
インターネット利用者のボリュームゾーンは、インターネット利用状況に関する資料と人口の資料を照らし合わせると現在の30~40代で、割合でいうと20代が一番高いですから。
また、私は、そのような「高いリテラシーを持った」母集団を同世代の参政意識の高い人達でまず築ければ良いなと思います(ここまで読んで下さった20代の方はきっと参政意識が高い方だと思うので、是非とも積極的に情報を集めてください)。
いや、ほんとは国民全てが政治的なリテラシーを持っていれば良い、というのは百も承知なのですが……
理想としては相当妥協したものになっていますが、全ての人を対象にしてはいないにしろ、「民主主義を育てる」ということではないかと思います。
政治に関心を持つ層のリテラシーを上げるという意味では。
さて、では、具体的にどれくらい我慢すれば良いのか。
ネット利用者の多い現在の40代以下がボリュームゾーンになるのはいつか。
データの検証をします。前々回と同じように、投票者全員に対する各世代の割合を算出します。
国立社会保障・人口問題研究所のこのページに「出生率」と「死亡率」をそれぞれ低中高の3ランクに分けて仮定した場合の推計人口が載っていますので、両方「中」の推計を使い、2025年、2035年、2045年、2055年について調べます。
世代ごとの投票率には前々回調べた結果一貫した傾向が見られましたので、前回(2014年12月)の衆院選のデータをこちらから引用します。
繰り返しますが、グラフとして出力しているのは「投票者全員に対する各世代の割合」です。
……正直、主目的そっちのけで高齢化について論じたくなるような結果ですが……
現在の40代以下の世代は、2025年の段階ではまだ全体の50%をギリギリ超えません。2035年では68%ほどになります。急激に数字が伸びるのは、団塊の世代(1947-49生まれ)のほとんどが鬼籍に入るからでしょう。
あくまで「ネット社会でそういう空気が醸成できれば」の話ですが、20年後には実現性を帯びる話ではあると思います。
さて、ようやく結論です。
- 民主主義をそう簡単に変えるわけには行かないので、若い世代はしばらく我慢が続く
- 政治的な判断は情報を集めて論理的にされる必要がある
- 選挙は「参加することに意義がある」わけではなく、関心のある人がきちんと情報を集めて投票することが大切
- 関心のない人は無理に投票しなくても良いが、関心のある層は増やしていく必要がある
- そういう意識は、時間をかけてインターネット上でなら醸成できるかも知れない
- 20年後にはネット世代が投票者の7割を占める
将来的に日本も「経済一流、政治も一流」と呼ばれるようにしたいと一国民として思います。
なお、今回の考察は、どのような政治家が出てくるかという要素や、政治家自体のリテラシーのアップを度外視していますが、いくらなんでも長くなりすぎるので省略しています。
そこら辺を語るのはまたいつか機会があれば。
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